2011年1月22日土曜日

あの戦争はなんだったのか

保阪正康著


「昭和史」を読んだ直後なので、学んだことを頭に入れるためにもよかった。戦前から戦争に至るまでをかかれた点では同じ、内容についてはこちらの方が要点をまとめた感じだが、当時の軍隊の組織について詳しく説明があり、組織図も載っているため興味深い。また、太平洋戦争では陸軍が悪者になっているようだが、海軍には「いつか欧米と戦う運命にある」という宿命論のようなものがあったことと書かれている点が「昭和史」と異なる。
2つの本に共通していえるのは、一貫して天皇への敬意が感じられること。


組織図を見て気がついたが、当時日本に空軍はなかった。日本どころかドイツくらいにしかなかったらしい。しかし、私の祖父の弟はパイロットでこれは何かといえば、海軍に属していた。ほとんどの国において、空からの攻撃というのはどちらかというと、一戦略でしかなかった。これは当時の技術で製造される飛行機の航続距離(燃料を最大限積載して飛行が可能な最長距離)がまだ短かったことと関係がある。第二次世界対戦で戦争の主力が海から空へシフトする。


戦争についてもっと知りたい。

2011年1月16日日曜日

昭和史 1926-1945

半藤一利著


その時々に夢中になるものがあって、ちょうど2010年末から2011年初に夢中になっていたのが「戦争」だった。借りるDVDも戦争映画ばかり、読む本は太平洋戦争に絞って読んでいた。そのうちの一つがこの本で、シリーズで戦前と戦後と2冊の本が出版されている。


昭和史の前半にあたる本書では、日本が太平洋戦争に至る背景から書かれており複雑に絡まった歴史の要素が簡潔に500ページあまりに記されているが、語りかけるような文体と著者のユーモアにより大変読みやすく、ぐいぐいと読めてしまう。


日本史を勉強したのは中学までで、例えば2・26事件は軍人が政治家を殺したくらいの記憶しかなく、またそれが一体歴史上でどんな意味を持ったかなどということはもちろん学校で学んでいない。この事件は恐怖として当時の国民、政治家、天皇にも心に焼き付けられ、そしてそれが陸軍の台頭に結びついていったことをこの本で初めて学んだ。もちろん一般教養としてそんなことぐらい誰でも知っているのかもしれないが、私はこの本で久しぶりに興味の源を刺激され、さらに歴史というものを知りたくなった。元々歴史は苦手で、知る必要性は感じながらも手が出なかった。学ぶというのはとても楽しい。知らないことが多くあり、無知な自分に感謝である。
なぜって、知る喜びがまだまだたくさん残っているから。





2011年1月9日日曜日

球形の荒野

松本清張著

2010年8月1日日曜日

人が食うもの・神が喰うもの 「食べる」思想

村瀬 学著

この本、面白い。とても面白かった。一言でどんな本と言われるとなんといっていいかわからない。食文化の歴史なんて本では全くないが、カニバリズムの本というのも違う、一口サイズの問題、神と人食など独特の考えで「食べる」という視点から色々な物事を見ている。

この本を本屋で見つけて少し気なった。その日は買わずに帰った。
しばらくてまた本屋に行くとこの本がまだあった。(私の行く本屋は小さいので、見つけても次に行くとないということが結構ある)再度表紙を開いて、目次を見てこれは今買うべきだと思った。

二度目に本屋に行く時までに私は「食べること」について、多くを考えさせられる経験をしていた。一つは亀を飼いだしたこと。二つ目はザ・コーブ」という映画を見たこと。

亀は金魚の餌のような亀用の配合飼料を食べるのだが健康のためにさまざまな餌、時には生餌を食べさせた方がいい。そのような餌をインターネットで検索していると、他の爬虫類が食べる餌にも出くわす。冷凍コオロギ、冷凍マウス、冷凍ヒヨコ、冷凍モルモットまである。私が飼っていたハムスターのような小さいねずみが毛が生えたまま餌用に冷凍されきれいに並べられ袋詰めにされ販売されているのである。亀もおそらく冷凍マウスくらいは食べると思うが買う気はしない。コオロギなら買える。冷凍小魚やエビは全く問題なく扱える。この違いは何か?哺乳類だとかわいそう?

かわいそう?かわいそう?かわいそう...?

ついこないだ食べたステーキはこれらと同様に食べられることを目的に飼育されてきた牛の肉である。つまり、ステーキを食べることは、例えば蛇の餌にヒヨコを買うことと良く似ている。私の食事に牛を買うのである。全く同じとは言えないとしても、少なくとも食べられる生き物の扱いは同じである。私が牛を食べるのはかわいそうではなくて、蛇の餌にヒヨコはかわいそう?

二つ目の経験、ザ・コーブというのは飼育していたイルカの死をきっかけにイルカの保護活動を始めたイルカの調教師が和歌山県太地町で行われているイルカ漁を許可なしで撮影したドキュメンタリー映画(のようなもの)である。調教師はアメリカのテレビドラマ「わんぱくフリッパー」で一躍有名になった人。この映画はどちらかというとイルカ調教師の個人的な問題を拡大させたものに思えるのであまり詳しく触れる気はないが、一般的にいうとイルカは食べるとかわいそうなのである。牛も食べるとかわいそうなはずである。(同じように牛の屠殺風景を見たらかわいそうなはずである。)
しかし鯨肉として売られている肉の中にはイルカの肉も含まれているそうだ。とすると私も食べたことがあるかもしれない。これが著者のいう一口サイズの問題である。

生き物として形があるものの命を奪って食べることはかわいそうであっても、一度一口サイズにされてしまえば何を食べているかわからない。

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巨大なワニだって「一口サイズ」になれば「食べちゃう」存在になる。ここに「心の反転」が起こる。「姿形をしている生き物」を見ている時には、あんな動物を食べるなんでそんなひどいことはできないわ、と言いながら、いざ「一口サイズ」になってお皿の上にちょこんと乗って出てくると、「おいしそう!」という感嘆の声を上げることになる。「可哀そう」の話が「おいしそう」の半紙にすりかわる。ここに「心の反転」が怒る。それは決してその人が悪いせいではない。

ここでいう「心の反転」というか、「心がすり替わる」仕組みは、本当に悩ましい仕組みである。食べる前は、動物は大事と言いながら、でも腹が空くと他の生き物を食べるのだが、その時に、他の生き物大事さを考えることがあっても、やはり食べてしまうと「ほっと」するのである。これはいかんともしがたい生体の仕組みだ。他のいのちを大事と考える心とさっさと食べてしまってほっとする心は、実は「折り合いがつかない」し、矛盾してしまうのである。でも、その矛盾した形そのものが、そもそも「いのち」としてのあり方になっているのである。

===

考えだしたらきりがない。可哀そうと食べることについてずっと考えていたら、いきあたったところは人間が捕食されないからではないかと思うようになった。もし人間が捕食される危機にさらされていたらそんなことは問題にならないと思う。淡々とそういうものだと受け止められるような気がする。地球上でおそらく捕って食われる危険にさらされていない生物というのは人間くらいじゃないだろうか?地震や洪水やハリケーンや戦争など命の危険にさらされることはあっても、捕食されるというのはまずない。他の生き物は捕って食べるけれど、捕って食べられる。

著者はこの本で一貫して何か主義主張みたいなもの説いているのではなく、淡々と事実を独自の視点で書いているように思う。そこがとてもいい。

また、人間が人間を食べる話も出てくる。人が人を食べる時にいつも神が関係すると。面白いのはアンデス山中飛行機墜落事故で食べ物がなくなり、一緒に搭乗していた亡くなった人を食べるという話。(有名な話で映画化されている)生存者の多くはカトリック信者で、救出後の記者会見で神の手に導かれ仲間を食べたと述べたらしい。その他にもアイヌの熊送り、マヤ文明の人身御供、アブラハムとイサクの献供物語など神と人を食べることについて取り上げられている。

ちなみに亀を狭いところで複数匹飼育しているとしっぽを食べてしまうというのはよくある話である。

そして絵本や童話の中からも食べるに関連した描写を見つけ書いてある。宮澤賢治のなめくぢの話はすごいとあるが、本当にすごいなと思う。

===
かたつむりがやって参りました。
その頃なめくぢは林の中では一番親切といふ評判でした。(略)
「まあもう一ぺんやりませうよ。ハッハハ。よっしょ。そら。ハッハハ。」かたつむりはひどく投げつけられました。
「もう一ぺんやりませう。ハッハハ。」
「もう死にます。さよなら。」
「まあもう一ぺんやりませうよ。ハッハハ。さあ。お立ちなさい。起こしてあげませう。よっしょ。そら。ヘッヘッヘ。」かたつむりは死んでしまひました。そこで銀色のなめくぢはかたつむりをペロリと喰べてしまひました。」
(宮澤賢治全集5 ちくま文庫 一九八六)
===

確かにこんな怖い文章はなかなかない。

それにしても、何がすごいかといえば私はこの著者の食べることを通してありとあらゆる世界を見ていると思わせるところである。儀式上のカニバリズムや一口サイズの問題までならばなんとなく普通だなと思うが、食べるを通して見る範囲が絵本や童話にまで及んでいる。すごい方だと思う。

私もこの著者のようにある一つの視点から様々な物事を見てみたいと思った。

2010年7月2日金曜日

人生と仕事について知っておいてほしいこと

松下幸之助著

まぁ、なんというかこの方の言葉が私は好きだ。本当に反省させられる。
昨年は自信を持つというのが仕事における私の達成すべき目標だったのだが、さて少し自信を持ち始めると人間というのは奢るものなのではないか。こういうところで未熟さを露呈することになるのだが、自分のやり方でやっていることを邪魔される(たように思う)と腹が立つ。なんで後から入社してきたのに我が物顔で命令するのだろうかと、しかし会社では面と向かって言えないし、それどころが本人は特に悪気がなく一生懸命仕事をしているだけである。だから怒るわけにもいかず、一人うらうら(?)と影で恨みが溜まるのである。つまりは言いたいことを平和を保ちながらいう技術がないのだ。

と話がそれたが、紹介したい文章がいっぱいの本である。若い人達に向けて語った言葉を主に集めた本だ。あえて紹介するならこちらかな。

勇気を持って「寝込みを襲う」ことができているか

私の宅に、ある会社の人が朝の七時ごろやって来る。門を開けるのを待っているんですね。「きみ、なんやね」「いや、平生会社で会えませんから、こういうときにははなはだ失礼で申し訳ないけれど、ぜひお目にかかりたい」「えらいきみ勉強家やね、なんやね」「実は私どものこれをひとつお勧めしたい」というのようなことを言って持ってくる。
「えらい早くから仕事して、きみ、つらいやろ」ときくと、「いや、ちっともつらいことありませんわ。これ面白いんです」と、こう言う。「きょうは社長に会えると思って面白うてやってます。もう希望で満ちてますねん」というようなことを言う。ほんとうはそうかどうかわからんけどね。そういうことを言うんやね。そうすると、「まあ、ちょっと上がりたまえ」となるわけやな。そこでそのものが成り立って成功ですわな。

この後松下さんの言いたいことが続く。朝早くに訪問して嫌がられないかなと考えながら行くと足も進まず成功しない。悪いことをしに行くのではないのだから、この商品を売って相手がどんなに幸せになるだろうかという心構えで売りに行く。いいことを与える、喜びを与えると考えながら行くと勇気凛々としていけると。

これは本当にそうで、例えばちょっとしたことでも「申し訳ないんですが」を強調すると相手もお前が悪いやろというような雰囲気が増長する。あっけらかんと、明るくしている方が相手もその空気に飲み込まれて、明るくなる。
そういえば、サービス業の接客でたいしたことではないのに「申し訳ございません」と悲しめの顔をして言われるとなんだか本当に悲惨な気がするもので、うっとおしいとまで思う。そんなに謝らなくてもいいじゃないか、世界が終わるわけでもあるまいし。

また話がそれたが、他にも日本人とはこの頃と変わっていないんだなと思う文が。

日本は、人が上に登ろうとするのを引っ張り下ろそうとする。だからなかなか上へ登れない。そうではなく、これが理想的な国柄であるというこで上へ上がりかけたら、「よし上がれ」と、こう言うて上がらせる。みな上がってくる。いちばん最後に「おれも引っ張ってくれ」とこうなる。全部石垣の上に上がってしまう。「上がってみると、むこうはきれいだなあ、面白いなあ」というよなものですわ。きわめて簡単なことです。きわめて簡単なことができないところに、私は国民性の弱点というものがあるように思うんです。

最近自分にも妬みや嫉妬という感情があることを改めて認識してしまったので、これは最近余計に納得する。スポーツ選手が日本を離れアメリカに行って大活躍することがあるが、こういった文化の違いが大きく影響しているのではと思う。

2010年6月30日水曜日

まだ科学で解けない13の謎

マイケル・ブルックス著

2010年6月19日土曜日

カメに100%喜んでもらう飼い方遊ばせ方

霍野晋吉著

2010年6月10日

ニホンイシガメというカメを飼い始めた。この本はタイトルに惹かれて買ってしまった。カメにとって居心地のいい環境を作りたいと思った。餌のあげ方などは参考になる。配合飼料と生の餌との割合など。残念なのは陸棲ガメと水棲ガメ両方についての本であるため、必要のない情報も結構あること。ただ、陸ガメにも興味が出たり、陸ガメの方が飼育費用も高く、飼育自体も難易度が高く、小亀となるとさらに難しいと分かったので、結果的によかった。水棲ガメ、特にニホンイシガメ専門の飼育書もどなたか書いてくれないでしょうか?

1冊10分で読める速読術

佐々木豊文著

2010年5月4日

ゴールデンウィークで実家に帰っていた時にテレビで速読について放送していた。気になって速読術について知りたいと思い読んでみたのだが、実際のところ訓練法についてはあまり詳しく書いていないため、残念。
速読というと要点をつかんで斜め読み飛ばし読みをするみたいな方法のものもあるが、これは文字を音声化せず読んで、脳の処理速度を速めるといった感じ。少しでも早くなるとすごく得をしそうだが、一人で継続的に訓練する気にはならず。この手法で速読を教えている学校があるので、そちらに通うのがいいのか、と10万くらいかかるのは高い...。

2010年6月18日金曜日

38億年生物進化の旅

池田清彦著

2010年4月28日水曜日

知らないと恥ずかしい ジェンダー入門

加藤秀一著

2010年4月28日

引き続き、仕事のために読んだ本。

ジェンダーとは何かについて書かれている。これは入門本。

「この本はジェンダーについてのほんとうの入門書です。みなさんがジェンダー論の豊かな知的フィールドに踏み出すために、最初の手がかりを提供したい。<ほんとうの>という意味には、そんな願いが込められています。」と最初にある。

とても面白く、分かりやすい文章だけれども、言葉の定義について語っているところなどは、頭がこんがらがりそうになる。ジェンダーとは何かを知りたい人はぜひ読んでみてほしい。間違ったことを書きそうなので、笑えたポイントを引用、ちょっと長いですが。

ところで最近、「男も差別されている」といった言いまわしをする人が増えてきたような気がします。中高年男性の自殺が増えるなど、日本の男性たちが直面している生きにくさがクローズアップされるようになるにしたがって目立ってきたように思えます。そういう背景を考えれば、この言いまわしに込められた意味は理解できなくはありません。
けれども性差別の全体を考えるなら、男性も(女性とおなじように)差別されているというのは言葉として不正確であり、差別という言葉の濫用と言うべきです。差別という以上、そこには集団ごとの序列化があり、差別する側と差別される側がある。そして、ジェンダーに関わる限り、男性が優位で女性が劣位というのが私たちの生きる社会の現実です。そういう最低限の基本的な意味をキープしておかなければ、まともな議論はできなくなってしまいます。
必ずしもそうではない、女性が有利なこともあると言いたくなる人がいるかもしれません。もしもそれが「全体的には男性のほうが女性よりも優位だが、なかには女性であることをうまく利用して、他の女性や男性よりもトクをしていいる女性もいる」という意味であれば、そういうこともあるだろう、としか言いようがありません。もちろんその逆に、男であるがゆえに、たまたま個人として損としているような場合もあるでしょう。けれどもそれが、「女性全体が男性全体に比べて優位である」ということを言っているのだとしたら、明らかな誤りです。そういう主張をする人が証拠としてよく持ち出す根拠には、電車の女性専用車両だとか、映画館の女性割引だとかいった、どうてもいいようなセコイ例が多いのですが、関東人の私でも思わず「アホちゃうか」と呆れてしまいます。そんなことを言うのだったら、映画館の男性割引をつくる代わりに、男性100に対して女性65という平均賃金の格差をさかさまにしてもいいんですね、と訊いてみたいですね。

ちなみに著者は男性。日本の社会で生まれ育っていなければ、私はアシスタントにはなっていないなというのが正直なところ。
まぁ、この辺は考え出すときりがないのでやめる。やはり枠からはなかなか逃れられないものだ。

2010年4月25日日曜日

女性を生かす会社の法則

植田寿乃著

2010年4月25日

この本は装丁がなかなか今風。(今風という言葉は今風ではない?うちにはテレビがないので最近世の中のことがわからない)

仕事で取り組むかもしれないプロジェクトのための勉強用に仕事と女性に関する本を数冊読んだ。そのうちの一冊。現在50歳くらいの方で、勤務されてきた日本企業での経験を元に書かれていると思う。
よっていかにも日本企業!という感じの風土について書かれていて、またそういう企業が対象に書かれているので、いわゆる外資系企業や国際的な企業に勤める人にとっては、「当てはまらないな」というのが多い。しかし、確かにうーんとうなずける。私が勤める会社は外国に本社を置く、外国資本の会社だけれども、50代-60代のわけの分からんおっさんは(あっすみません)、結構わけの分からん発言をする。こういう過去の遺物みたいな人たちは時々いる。過去の遺物の中でも素敵な人は、時代に適応しているため、意外に若い女性からも人気があり、外人からの評価も高かったりする。欧米人にとってみたら、50-60代のおじさん達の英語は相当意味不明なことが多い。というか、思考回路が伝統的な日本過ぎて、もうさっぱり意味がわからない。まず話し出して一文を終える頃には、主語がどこにいったかわからない。おまけに「察してください」風な話し方が染み付いているので、本当は何を求めているのか読み取れない。「何が言いたいんですか?」と切れそうになる。しかしこのおじぃさんは、とても仕事ができる方でプロフェッショナル。ここで私はどちらがいいかを主張している訳ではない。文化の隙間みたいなところにいるとその違いをよく感じるのだ。その違いが面白い。

ちなみに私はアシスタント、たまに秘書とも言われるような仕事なので、会社ではとても「おっさん何考えとんねん、意味わからん。まどろっこしぃ!はっきり言いたいこといいや!!!」などと切れることはできない...が心はいつもチンピラである。

と話は逸れたが、女性が生き生きと活躍できるような組織にするために何をすればいいか、何から始めればいいか、女性はどんなことで悩むか、何がキャリアの障害になるか、どんな支援があればさらによくなるか等が分かりやすくまとめられているので、大変役に立った。ありがとうございますと言いたい。

2010年4月24日土曜日

禁煙セラピー

アレン・カー著

2010年4月24日

これを読んでやめられるかというと、正直よく分からない。

いくつかの出版社から異なる形態で出版されている。私の買ったものはちょうど帯のところに「この本を読んでタバコをやめました!」というようなコメントと芸能人の顔写真が印刷されていて、本棚に置きたくない感じの表紙であることは確か。私は紙のカバーをかけない主義だが、この本だけはかけてある。

私はもう随分長い間タバコを吸って来たけれど、これを読んですぐにやめられなかった。
他にも色々な理由があり、ここ1ヶ月くらいは禁煙ができているので、この本の貢献も確かにあると思う。

書かれているように一日40本、50本もタバコを吸うようなヘビースモーカーに対してより効果があるかもしれない。

ただ、「喫煙者は中毒者」、「タバコは毒物」という考えを頭に染み付けることができたので、喫煙者の姿を見ると自由や健康を奪われたかわいそうな人と思えるようになった。

実際にこの本を読んで喫煙している方も多いと聞くが、そうするとこのアレンさんはすごい人だなと思う。自分の経験を人に共有し、同じような苦しい(本人は楽しい?)世界にいる人々を救うために行動を起こしたわけである。それも字面通り世界中にいる喫煙者を多く救ったわけである。なんて素晴らしい人なんだろうか。

2010年4月19日月曜日

二重らせんの私

柳澤桂子著

少し前に読んだので、ここから数冊はタイトルと著者名簡単な感想のみに...。

著者は現在70歳くらいの女性生物学者の方。

幼少期からの生物に興味を持ち、研究者としての道を歩みが書かれている。

御茶ノ水大学に入学し、アメリカへ留学。この時代は大学に行く女性自体も少なかった頃、両親はお嫁に行くことが女の幸せとして最初は反対したらしいが、女子大学ならという条件つきで研究の道に進んだ。

女性の社会進出が始まったのはそう昔ではないと気づかされる。40年くらい前に生まれていれば、私は高校にすらいけないかもしれない。

特に興味深く、興奮を覚えるのは後の歴史を変えるような大きな発見や、その名を残すことになった学者にその当時に出会っていること。

生物学やその歴史、当時の研究環境、日米の違いを知るだけでなく、情熱を持った女性の生き方としても勉強になる本。

2010年4月5日月曜日

動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか

福岡伸一著

生命、生命現象についていくつかの切り口から書かれている。一般向けに書かれているため読みやすい。
タイトルの動的平衡とは生命が動的に平衡を保っていること、つまり体の細胞が常に入れ替わりながらもバランスを保ち生命を維持しているということらしい。

今回学び、特に驚いたのは二点。
一つ目は胃の内部は体外にあたるということ。
「消化管の内部は一般的には『体内』と言われているが、生物学的には体内ではない。つまり、体外である。人間の消化管は、口、食道、胃、小腸、大腸、肛門と連なって、身体の中を通っているが、空間的には外部と繋がっている。それはチクワの穴のようなもの、つまり身体の中心を突き抜ける中空の管である」 
そしてミミズやナメクジの体にも一本の管が通っており、この消化管に沿ってある神経細胞で考えているらしいと、人間の消化管に沿って末梢神経が存在し脳で情報伝達に関わる神経ペプチドが消化管の神経細胞でも使われているとある。今のところなぜ神経ペプチドが消化管付近に大量に存在するのかはよくわかっていないらしい。

二つ目はカニバリズムを避ける理由。病気というのは鍵と鍵穴のような関係によって成り立つ。通常一つの種の病気は他の種には移らない。しかし、人が人を食べれば病原体をそっくりそのままもらってしまうことになる。実際にパプアニューギニアにクルー病という病気があり、これは死者の脳を食べるという風習が原因だったらしい。この風習をやめさせたところ、病気は一世代でなくなったと。

ザリガニとかハムスターとか結構共食いするが、病気にならないのだろうか。檻や水槽という狭い人工的な環境のせいで起こってしまい、自然界ではあまり起こらないことなのだろうか?

それにしても細胞が常に壊され、新しく作られ、そうした動きが私たちの体を維持しているというのは非常に不思議な気がする。
変わらないものは一つもない、私たち自身が常に変わっているのだから。
ヒトは思うより自分自身のことを知らない。

2010年4月1日木曜日

てなもんやOL転職記

谷崎 光著

先日読んだ「てなもんや中国商社」の続編である。中国商社を辞めてから、そこでの記録を書いた原稿を出版社に持ち込むいきさつ、他、全体に著者やその周りの人々について書かれている。どちらが笑えるかといえば圧倒的に「てなもんや中国商社」の勝ち。ただ28歳で会社を辞めて、何もなくなって家業を手伝いながら次の仕事をどうするか、自分が何がしたいか悩む辺りは今の自分と少し重ねて読んだ。10年くらい前の、社会が女性に、決められた枠の中で生きることを求めた時代において、仕事を大切に思う女性がどう人生を考えるかを知ることができたのが一番の収穫。
自分のやりたいことは決まっているが、改めて確認するために、現状を把握するためにも役に立つなと思ったのがこちらの言葉。当たり前に分かっているように思えることも紙に書いてみると新たな発見があったりする。

=引用始め=

ともかく、私は考えようと思った。
そもそも私は、本当は何をやりたいのか?
何ができて、何ができないのか?
何が一番得意なのか?
どうすれば満足できるのか?
働く時間は結構長い。朝から晩までやって嫌じゃないことって?性格的にどんなトクでも、嫌なことは続かない自分だけは知っている。
前の仕事の何が好きで何が合わなかった?
どこで働きたい?誰と働きたい?ひとりで?たくさんで?チームで?
何に向かって働きたい?人相手とか、モノとか、情報とか?
仕事で自分の何を使いたい?
もし自分にオカネも時間もチャンスも能力も全部あるとするなら何をする?
何より、死ぬまでにやってなくて一番後悔するコトって何?

=引用終わり=

特に最後の2つはとてもいい質問だと思う。
確認するために紙に書いてみた。私は両方ともに勉強すること書いた。特に何もかもあれば何をするか、については世界一周旅行とか、いいマンションに住むとか、上質な服や靴や鞄を買いまくることかと思っていたが、実は勉強がしたいらしい。結構安上がりでいいかもしれない。ちなみに得意なことは人を理解すること。ひとりで言語と向き合って仕事がしたい。自分にしか作ることのできない質の高い仕事の結果が適正に評価された上で高く売れること、で満足すると思う。やっぱり、通訳か翻訳。専門家が好きだ。