2012年4月26日木曜日

キリング・フィールドへの旅

カンボジアノートII
波田野 直樹著

1975年から1979年の間にカンボジアではクメールルージュによる国民の大虐殺が行われた。本著は虐殺行為の残虐さに焦点を当ててはいるのではなく、当時のカンボジアを取り巻く環境や時代背景を確認しながら、なぜ彼らがそのような方向に向かったかという一つの疑問を、虐殺の場への訪問と集めた資料を通して解こうとしている。
先日NHKオンデマンドで、国連の国際裁判所によるクメールルージュ幹部と処刑施設トゥールスレンの所長に対する裁判のドキュメンタリーを見た。そのせいか図書館の本棚にあるこの本に目が止まってしまった。私みたいな文章の下手な人間が言うのもなんだが、この本の文章は、色気なく歴史上の事実を並べたノンフィクションとは異なり、小説のように書かれていて、読みやすい上に文章が美しい。どう表現していいかわからないのだが、すばらしい。
始めの方に使用される用語の定義が述べられる。その中で始めてはっきりとその定義を認識したのがジェノサイドだ。ジェノサイド(民族、宗教、国民などの集団に対する大虐殺)はユダヤ人学者が第二次世界大戦中のホロコースト以降に創り出した言葉だそうだ。現在は人類に対する罪として認識されている。

そして私が長く疑問に思っていた点に触れる。戦争を根絶できないように虐殺もまた根絶できない。人間というのは不思議な存在で、相反する要素を未整理のまま内包した存在である。戦争や殺人がなぜ起こるのか不思議である。もしそれがその存在にとって悪いことであれば、自然と殺人や戦争が起こらないように思える。しかしながら、人類の歴史ではいつもどこかで戦争や殺人が起きている。一つの規範の中では穏やかに暮らす人間も、一旦別の規範に入れられてしまえば、残虐なことを平気で行えるようになる。

S21と呼ばれていたトゥールスレンやその他の処刑場所の訪問、政治的な背景、クメールルージュ幹部達と同時期にパリに留学していたカンボジア人との会話、現在のカンボジア人がどう受け止めているかなどを通して、著者が経験したものを共有することができる。

さて、なぜ彼らが一説には170万人といわれている数の自国民を虐殺したのか、その理由について明確な結論は述べられていない。読者自身がその答えを出すよう求めているかのようだ。