2010年3月15日月曜日

妬まずにはいられない症候群

加藤諦三

勝間さんの「断る力」に紹介されていて興味を持ったので読むことに。文庫本を開いた袖部分に「ある人を妬み、その人に対する感情だけで人生を終わるという、もったいない人生を送る人が多い。この本はある人を妬み、その人との感情的いきさつだけの狭い世界で生きないで、もっと大きな可能性を求める人生を送るためにはどうしたらよいか、ということを考えた本である。」とあるのだけれど、「どうしたらよいか」についてあまり書かれていないと思う。

では何が書かれているかというと妬みがどういう仕組みで生まれるか、主に「妬む人は~だ」という文章が繰り返される。なんだか著者自身の苦しみみたいなものが伝わって来てしまった。

これは確かにそうだと思ったのはこちら。

「前向きに自己実現することに関心のある人は、他人のあらを捜してもそれは自分の人生を意味あるものにするためには何の役にも立たないということを知っている。そこで、前向き生きる人は、他人の欠点を探し出すことにそれほど興味を示さない。しかし前向きになれない人の最大の楽しみは、他人の欠点を探し出すことである。」

こんな風に書かれると他人の欠点を探してしまったら極悪人みたいだけれど、誰でも誰かの欠点が目につくことはあると思う。そういう気持ちがふとした言葉から窺える時がある。結構自信があり、輝いているように見える人がそういう言葉をふと漏らすと、この人は本当は自信がない人なんだなぁ、と思う。私は改善はしたものの、自信があまりない。あんまりいいことじゃないけれど、他の人もそうなんだと少し安心したりする。

他にも色々と思うところがあって、ここでいう自己実現することに関心のある人 = 私が思う好きなことに集中している人 = 人生を本当に楽しんでいる人 というのは本当に数パーセントしかいないと思う。一般的に見れば成功している人でもよく観察してみると、当てはまる人はあまりいない。世の中に好きなことをしている人は本当に少ない。大半は誰かや何かに応えるためにがんばっている気がする。ただ、反応するために。そう、体に染み込んだ枠から抜け出すのは、とても難しい。

というわけで、これからは他人に応えることではなく、自分の好きなことを中心に生きていくことに決めた。だいたい、好きなことをやっていたらうだうだ妬んだり、後ろ向きになっている暇なんてない。若い頃はそうやって暮らしていたこともあるのに、年齢を重ねるうちに本当は重要ではないことを、最重要事項に設定して生ききたようだ。一番の要で大きな勘違いをしていたらしい。