2010年3月7日日曜日

ローマ人の物語 1 ローマは一日にして成らず(上)

塩野七生著

ラテン語をいつか勉強したいと思う。ライフワークみたいに。

何が好きかって、ヨーロッパの古い建物に刻まれているあのラテン文字の見かけがまず大好きで、カタカナで表記されていたってその見かけと音が好き。ユビキタスとか。英語の病名や動植物の学名も素敵なものが多い。

atrophoderma vermiculatumなんて日本語では「虫食い状皮膚萎縮症」らしいけど、アルファベットだけ見ているととてもセクシーである。"um"がたまらない。claustrofobiaなんて一目ぼれである。意味は閉所恐怖症だけど。xenofobia(外国人恐怖症)もいいね。本の中身とはあまり関係がないような気がするが、ついつい燃えてしまった。

ローマの歴史、この巻ではローマがどうやって興ったかから書かれている。そして当時のローマを理解するのに欠かせないギリシアについても。

歴史は教養としてある程度知っておくべきだと、高校生の頃から思って何度となく、歴史を読もうとしたがいつもつまらなくてやめてしまった。それが、この本、面白い。まぁ、好きな地域と好きな時代だからかな。この時代の戦いや鎧(戦闘服?)もおそらく好き。中世くらいまでの戦争と武器と鎧が結構好きである。

ローマを建国したロムルスは、映画「トロイ」を見た人なら、ご存知のようにトロイの陥落から逃げ延びた者の子孫とずっと信じられて来たらしいが、後に年月の計算が合わないことに気づき、別の伝説が生まれたようである。あの有名な狼が双子に乳を飲ませる姿の像はこの伝説の一場面を表している。

ローマが誕生し、王政から共和制までがここでは書かれている。王政といってもローマの王政はなんと民に選ばれた人が終身制でなったらしい、世襲制ではないとはちょっと普通に想像する王政とは違う。そして共和制は「ローマは一年ごとに選挙によって選ばれる人々によって治められ、個人よりも法が支配する国家になるのである」と描写される。

なるほどと思った部分をここに引用する。

「『ローマを強大にした要因は宗教についての彼らの考え方にあった』 ローマ人にとっての宗教は、指導原理ではなく支えにすぎなかったから、宗教を信ずることで人間性までが金縛りになることもなかったのである。」

ちなみに仏教でも人間性は金縛りにならない気がする。この辺からは要約する。ローマ人は狂信的でないために排他的でも閉鎖的でもなく、異教徒、異端の概念にも無縁、戦争はしたが、宗教戦争はしなかった。、ただ、宗教の代わりに何かしらの自浄システムを持つ必要があり、それが家庭であり、そして法律であった。宗教は共有する人同士でしか効力を発しないが、法律は共有しなくても有効である。人間の行動原理の正し手を宗教に求めたのがユダヤ人、哲学に求めたのがギリシア人、法律に求めたのがローマ人。うーん、素晴らしい一文。

さて、日本人にかかわらず、現代人は行動原理の正し手をどこに求めているのだろうか?日本にはそれがなくてみな迷い子のようになっている。自分の常識がもはや他人の常識ではないことを気がついていない。黙ったままで、相手に自分と同じ行動を期待するのにはもう無理がないだろうか?私達は実は「みんな同じ」じゃなかったことをそろそろ公けに認めてもいいような気がする。それとも、異なる文化圏の人との日常があるからこう思うのだろうか。

満員電車で無言でぶつかっていくのはやめた方がいいね。せめて「ごめんやしぃ、ごめんやし、ごめんやし」くらい言いながら突っ切って欲しい。