2011年5月23日月曜日

億の富の作り方

久保雅文著

久しぶりにとても驚いた。本当に世の中のことを知らないなとつくづく思うが、またそれが喜びでもある。つまり新しく学んだ際にいつもこれを認識するからだ。
この方も30代で億の資産を築いた方だが、本の内容は個人の経験ではなく、国というレベルで見たお金。国家にだまされるなといった姿勢で書かれている。

日本の負債はGDPの2倍と言われている。定期購読しているNewsweekに国別の債務残高をグラフにしたものがあり、日本はその中で他を大きく引き離してトップ、だがアイルランドやギリシャのような破綻に陥るリスクは少ないとあった。なぜか?債務残高の8割(?)が国内調達であるのが理由。これは世界的に見ても珍しい。米国などは4割だったか6割だったかが国外調達だった。まず、この小さな驚きが最近あった。そしてこの本を読むと、問題となっている国の借金は実はとっくの昔に消費税率を上げて税収となるべきものだったということがわかる。借金ではなくてれっきとした税収で、正常な収支が保てるはずだった。では、なぜそうならなかったか?
消費税を上げるという度に国民からの指示を失って選挙で票が集められない、国民のご機嫌を取るためにすべきこと先のばしにしてきた。でも国はお金がないと困る、ではどうしたか?少ない税金で豊かになった個人資産をひたすら貯蓄するように勧め、それを国が使ってきたというわけである。

これには本当に驚いた。無知であることは呑気なことである。ぼけーっと消費税は上がってほしくないなと考えるのである。日本の将来が心配になってきた。このままのペースで借金をつづければ、その額は個人資産を越える。つまり借り入れができなくなり、国債がデフォルトとなる。その際に唯一国が取り得る方策が現在法律で禁止されている日銀が国債を購入するというものだ。そうなると国の信頼は落ち、円の価値が大幅に下がるデノミネーションへと向かうかもしれない。

経済というものが本当に不思議でたまらない。世界経済を見ているとこのアングロサクソン支配がいつまで、続くのかそして赤字国が力を持ち続ける構造がどれだけつづくのか、その力にはやはり軍事力が関係してくるのかと謎だらけである。

2011年5月19日木曜日

サラリーマンの僕が35歳で資産3億円つくった方法

鳥居里至著

IT株への50万円投資から初めて35歳で資産3億円までになった著者が書いたお金のルールと増やし方。
お金の出口を減らして、入口を増やすという基本方針の元にお金の価値や、普通の人が知らないまたは意識していないお金の動きや習性のようなものを説明している。

今年の前半は「戦争」がテーマだったが、しばらくお金をテーマに本を読み漁ることにした。
まぁ、会社員生活に疲れてなんとか抜けられないかと思い始めて、ついついこの本を手に取ったことからテーマが「お金」になったのだが。

なかなか、ここまでできる人はいないんじゃないかと思うけれども、お金のルールについて学ぶのにはいい本だった。現在の自分の収入の壁を越えるには何かを変えなくてはならない、何を?と思った時に実はお金持ちや成功者の本を読むだけではなくて、彼らの習慣を真似したらいいのではないかと。これまでは自己啓発本を読むと啓発本ハイみたいになって、まぁ、リポビタンDを飲んだような効果があっただけ。もちろん一時的にやる気も上がり、前向きな気持ちを作り出すので悪くはないが、定着しない。「気持ちを変える」よりも「習慣を変える」方が手っ取り早い。今までなぜ気がつかなかったのか?

軽く1時間もあれば読めてしまう、こじゃれた装丁の本なのだが、私は多くのことを学べたと思う。
例えば、お金の価値。お金には二つの価値があり、お金持ちはお金を手にした時に「交換価値」ではなく「時間価値」を考える。「時間価値」とは100万円を金利7%で運用すれば10年後に200万円になるかもしれないなどと考えること、「交換価値」はこの100万でスーツ10着買える!などと考えること。

ほとんど「交換価値」しか考えたことがない。また、72の法則で説明される複利効果など、無知もいいところだと自覚した。と言う訳でしばらくお金の本が続く予定だ。

2011年2月28日月曜日

図解雑学 脳のしくみ

岩田誠監修


脳の基本について書かれた本で易しくわかりやすい。私の読んだものは随分と古いものだが、本屋で見たら新しいものも売っていた。脳の構造と各部の名前、脳の細胞と情報伝達のしくみ、大脳皮質の働き、記憶と本能、知らないうちに働く脳、五感と脳の6章からなる。脳の各部位と、神経細胞、シナプスがどのようにつながっているかと詳しく知りたかったのだが、この本で満たされた。いろいろな脳関連の本を読む前にこれを読んでおくと、理解度が異なると思う。基本中の基本が書かれた本。ちょうど「変身」にでてきた左半側空間無視(脳の右半球に損傷を受けると左側を無視してしまう状態)についても説明があったので、面白かった。

2011年2月22日火曜日

変身

東野圭吾著


新幹線に乗る際に何か軽く読めるものが欲しくなり購入した。真面目な男性がある事件に巻き込まれ世界初の脳の移植手術を受けてから、自分が自分じゃないように変化していく話。悲しい。

2011年2月20日日曜日

老化を抑える抗酸化力

吉川敏一著

2011年1月22日土曜日

あの戦争はなんだったのか

保阪正康著


「昭和史」を読んだ直後なので、学んだことを頭に入れるためにもよかった。戦前から戦争に至るまでをかかれた点では同じ、内容についてはこちらの方が要点をまとめた感じだが、当時の軍隊の組織について詳しく説明があり、組織図も載っているため興味深い。また、太平洋戦争では陸軍が悪者になっているようだが、海軍には「いつか欧米と戦う運命にある」という宿命論のようなものがあったことと書かれている点が「昭和史」と異なる。
2つの本に共通していえるのは、一貫して天皇への敬意が感じられること。


組織図を見て気がついたが、当時日本に空軍はなかった。日本どころかドイツくらいにしかなかったらしい。しかし、私の祖父の弟はパイロットでこれは何かといえば、海軍に属していた。ほとんどの国において、空からの攻撃というのはどちらかというと、一戦略でしかなかった。これは当時の技術で製造される飛行機の航続距離(燃料を最大限積載して飛行が可能な最長距離)がまだ短かったことと関係がある。第二次世界対戦で戦争の主力が海から空へシフトする。


戦争についてもっと知りたい。

2011年1月16日日曜日

昭和史 1926-1945

半藤一利著


その時々に夢中になるものがあって、ちょうど2010年末から2011年初に夢中になっていたのが「戦争」だった。借りるDVDも戦争映画ばかり、読む本は太平洋戦争に絞って読んでいた。そのうちの一つがこの本で、シリーズで戦前と戦後と2冊の本が出版されている。


昭和史の前半にあたる本書では、日本が太平洋戦争に至る背景から書かれており複雑に絡まった歴史の要素が簡潔に500ページあまりに記されているが、語りかけるような文体と著者のユーモアにより大変読みやすく、ぐいぐいと読めてしまう。


日本史を勉強したのは中学までで、例えば2・26事件は軍人が政治家を殺したくらいの記憶しかなく、またそれが一体歴史上でどんな意味を持ったかなどということはもちろん学校で学んでいない。この事件は恐怖として当時の国民、政治家、天皇にも心に焼き付けられ、そしてそれが陸軍の台頭に結びついていったことをこの本で初めて学んだ。もちろん一般教養としてそんなことぐらい誰でも知っているのかもしれないが、私はこの本で久しぶりに興味の源を刺激され、さらに歴史というものを知りたくなった。元々歴史は苦手で、知る必要性は感じながらも手が出なかった。学ぶというのはとても楽しい。知らないことが多くあり、無知な自分に感謝である。
なぜって、知る喜びがまだまだたくさん残っているから。





2011年1月9日日曜日

球形の荒野

松本清張著

2010年8月1日日曜日

人が食うもの・神が喰うもの 「食べる」思想

村瀬 学著

この本、面白い。とても面白かった。一言でどんな本と言われるとなんといっていいかわからない。食文化の歴史なんて本では全くないが、カニバリズムの本というのも違う、一口サイズの問題、神と人食など独特の考えで「食べる」という視点から色々な物事を見ている。

この本を本屋で見つけて少し気なった。その日は買わずに帰った。
しばらくてまた本屋に行くとこの本がまだあった。(私の行く本屋は小さいので、見つけても次に行くとないということが結構ある)再度表紙を開いて、目次を見てこれは今買うべきだと思った。

二度目に本屋に行く時までに私は「食べること」について、多くを考えさせられる経験をしていた。一つは亀を飼いだしたこと。二つ目はザ・コーブ」という映画を見たこと。

亀は金魚の餌のような亀用の配合飼料を食べるのだが健康のためにさまざまな餌、時には生餌を食べさせた方がいい。そのような餌をインターネットで検索していると、他の爬虫類が食べる餌にも出くわす。冷凍コオロギ、冷凍マウス、冷凍ヒヨコ、冷凍モルモットまである。私が飼っていたハムスターのような小さいねずみが毛が生えたまま餌用に冷凍されきれいに並べられ袋詰めにされ販売されているのである。亀もおそらく冷凍マウスくらいは食べると思うが買う気はしない。コオロギなら買える。冷凍小魚やエビは全く問題なく扱える。この違いは何か?哺乳類だとかわいそう?

かわいそう?かわいそう?かわいそう...?

ついこないだ食べたステーキはこれらと同様に食べられることを目的に飼育されてきた牛の肉である。つまり、ステーキを食べることは、例えば蛇の餌にヒヨコを買うことと良く似ている。私の食事に牛を買うのである。全く同じとは言えないとしても、少なくとも食べられる生き物の扱いは同じである。私が牛を食べるのはかわいそうではなくて、蛇の餌にヒヨコはかわいそう?

二つ目の経験、ザ・コーブというのは飼育していたイルカの死をきっかけにイルカの保護活動を始めたイルカの調教師が和歌山県太地町で行われているイルカ漁を許可なしで撮影したドキュメンタリー映画(のようなもの)である。調教師はアメリカのテレビドラマ「わんぱくフリッパー」で一躍有名になった人。この映画はどちらかというとイルカ調教師の個人的な問題を拡大させたものに思えるのであまり詳しく触れる気はないが、一般的にいうとイルカは食べるとかわいそうなのである。牛も食べるとかわいそうなはずである。(同じように牛の屠殺風景を見たらかわいそうなはずである。)
しかし鯨肉として売られている肉の中にはイルカの肉も含まれているそうだ。とすると私も食べたことがあるかもしれない。これが著者のいう一口サイズの問題である。

生き物として形があるものの命を奪って食べることはかわいそうであっても、一度一口サイズにされてしまえば何を食べているかわからない。

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巨大なワニだって「一口サイズ」になれば「食べちゃう」存在になる。ここに「心の反転」が起こる。「姿形をしている生き物」を見ている時には、あんな動物を食べるなんでそんなひどいことはできないわ、と言いながら、いざ「一口サイズ」になってお皿の上にちょこんと乗って出てくると、「おいしそう!」という感嘆の声を上げることになる。「可哀そう」の話が「おいしそう」の半紙にすりかわる。ここに「心の反転」が怒る。それは決してその人が悪いせいではない。

ここでいう「心の反転」というか、「心がすり替わる」仕組みは、本当に悩ましい仕組みである。食べる前は、動物は大事と言いながら、でも腹が空くと他の生き物を食べるのだが、その時に、他の生き物大事さを考えることがあっても、やはり食べてしまうと「ほっと」するのである。これはいかんともしがたい生体の仕組みだ。他のいのちを大事と考える心とさっさと食べてしまってほっとする心は、実は「折り合いがつかない」し、矛盾してしまうのである。でも、その矛盾した形そのものが、そもそも「いのち」としてのあり方になっているのである。

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考えだしたらきりがない。可哀そうと食べることについてずっと考えていたら、いきあたったところは人間が捕食されないからではないかと思うようになった。もし人間が捕食される危機にさらされていたらそんなことは問題にならないと思う。淡々とそういうものだと受け止められるような気がする。地球上でおそらく捕って食われる危険にさらされていない生物というのは人間くらいじゃないだろうか?地震や洪水やハリケーンや戦争など命の危険にさらされることはあっても、捕食されるというのはまずない。他の生き物は捕って食べるけれど、捕って食べられる。

著者はこの本で一貫して何か主義主張みたいなもの説いているのではなく、淡々と事実を独自の視点で書いているように思う。そこがとてもいい。

また、人間が人間を食べる話も出てくる。人が人を食べる時にいつも神が関係すると。面白いのはアンデス山中飛行機墜落事故で食べ物がなくなり、一緒に搭乗していた亡くなった人を食べるという話。(有名な話で映画化されている)生存者の多くはカトリック信者で、救出後の記者会見で神の手に導かれ仲間を食べたと述べたらしい。その他にもアイヌの熊送り、マヤ文明の人身御供、アブラハムとイサクの献供物語など神と人を食べることについて取り上げられている。

ちなみに亀を狭いところで複数匹飼育しているとしっぽを食べてしまうというのはよくある話である。

そして絵本や童話の中からも食べるに関連した描写を見つけ書いてある。宮澤賢治のなめくぢの話はすごいとあるが、本当にすごいなと思う。

===
かたつむりがやって参りました。
その頃なめくぢは林の中では一番親切といふ評判でした。(略)
「まあもう一ぺんやりませうよ。ハッハハ。よっしょ。そら。ハッハハ。」かたつむりはひどく投げつけられました。
「もう一ぺんやりませう。ハッハハ。」
「もう死にます。さよなら。」
「まあもう一ぺんやりませうよ。ハッハハ。さあ。お立ちなさい。起こしてあげませう。よっしょ。そら。ヘッヘッヘ。」かたつむりは死んでしまひました。そこで銀色のなめくぢはかたつむりをペロリと喰べてしまひました。」
(宮澤賢治全集5 ちくま文庫 一九八六)
===

確かにこんな怖い文章はなかなかない。

それにしても、何がすごいかといえば私はこの著者の食べることを通してありとあらゆる世界を見ていると思わせるところである。儀式上のカニバリズムや一口サイズの問題までならばなんとなく普通だなと思うが、食べるを通して見る範囲が絵本や童話にまで及んでいる。すごい方だと思う。

私もこの著者のようにある一つの視点から様々な物事を見てみたいと思った。

2010年7月2日金曜日

人生と仕事について知っておいてほしいこと

松下幸之助著

まぁ、なんというかこの方の言葉が私は好きだ。本当に反省させられる。
昨年は自信を持つというのが仕事における私の達成すべき目標だったのだが、さて少し自信を持ち始めると人間というのは奢るものなのではないか。こういうところで未熟さを露呈することになるのだが、自分のやり方でやっていることを邪魔される(たように思う)と腹が立つ。なんで後から入社してきたのに我が物顔で命令するのだろうかと、しかし会社では面と向かって言えないし、それどころが本人は特に悪気がなく一生懸命仕事をしているだけである。だから怒るわけにもいかず、一人うらうら(?)と影で恨みが溜まるのである。つまりは言いたいことを平和を保ちながらいう技術がないのだ。

と話がそれたが、紹介したい文章がいっぱいの本である。若い人達に向けて語った言葉を主に集めた本だ。あえて紹介するならこちらかな。

勇気を持って「寝込みを襲う」ことができているか

私の宅に、ある会社の人が朝の七時ごろやって来る。門を開けるのを待っているんですね。「きみ、なんやね」「いや、平生会社で会えませんから、こういうときにははなはだ失礼で申し訳ないけれど、ぜひお目にかかりたい」「えらいきみ勉強家やね、なんやね」「実は私どものこれをひとつお勧めしたい」というのようなことを言って持ってくる。
「えらい早くから仕事して、きみ、つらいやろ」ときくと、「いや、ちっともつらいことありませんわ。これ面白いんです」と、こう言う。「きょうは社長に会えると思って面白うてやってます。もう希望で満ちてますねん」というようなことを言う。ほんとうはそうかどうかわからんけどね。そういうことを言うんやね。そうすると、「まあ、ちょっと上がりたまえ」となるわけやな。そこでそのものが成り立って成功ですわな。

この後松下さんの言いたいことが続く。朝早くに訪問して嫌がられないかなと考えながら行くと足も進まず成功しない。悪いことをしに行くのではないのだから、この商品を売って相手がどんなに幸せになるだろうかという心構えで売りに行く。いいことを与える、喜びを与えると考えながら行くと勇気凛々としていけると。

これは本当にそうで、例えばちょっとしたことでも「申し訳ないんですが」を強調すると相手もお前が悪いやろというような雰囲気が増長する。あっけらかんと、明るくしている方が相手もその空気に飲み込まれて、明るくなる。
そういえば、サービス業の接客でたいしたことではないのに「申し訳ございません」と悲しめの顔をして言われるとなんだか本当に悲惨な気がするもので、うっとおしいとまで思う。そんなに謝らなくてもいいじゃないか、世界が終わるわけでもあるまいし。

また話がそれたが、他にも日本人とはこの頃と変わっていないんだなと思う文が。

日本は、人が上に登ろうとするのを引っ張り下ろそうとする。だからなかなか上へ登れない。そうではなく、これが理想的な国柄であるというこで上へ上がりかけたら、「よし上がれ」と、こう言うて上がらせる。みな上がってくる。いちばん最後に「おれも引っ張ってくれ」とこうなる。全部石垣の上に上がってしまう。「上がってみると、むこうはきれいだなあ、面白いなあ」というよなものですわ。きわめて簡単なことです。きわめて簡単なことができないところに、私は国民性の弱点というものがあるように思うんです。

最近自分にも妬みや嫉妬という感情があることを改めて認識してしまったので、これは最近余計に納得する。スポーツ選手が日本を離れアメリカに行って大活躍することがあるが、こういった文化の違いが大きく影響しているのではと思う。

2010年6月30日水曜日

まだ科学で解けない13の謎

マイケル・ブルックス著

2010年6月19日土曜日

カメに100%喜んでもらう飼い方遊ばせ方

霍野晋吉著

2010年6月10日

ニホンイシガメというカメを飼い始めた。この本はタイトルに惹かれて買ってしまった。カメにとって居心地のいい環境を作りたいと思った。餌のあげ方などは参考になる。配合飼料と生の餌との割合など。残念なのは陸棲ガメと水棲ガメ両方についての本であるため、必要のない情報も結構あること。ただ、陸ガメにも興味が出たり、陸ガメの方が飼育費用も高く、飼育自体も難易度が高く、小亀となるとさらに難しいと分かったので、結果的によかった。水棲ガメ、特にニホンイシガメ専門の飼育書もどなたか書いてくれないでしょうか?

1冊10分で読める速読術

佐々木豊文著

2010年5月4日

ゴールデンウィークで実家に帰っていた時にテレビで速読について放送していた。気になって速読術について知りたいと思い読んでみたのだが、実際のところ訓練法についてはあまり詳しく書いていないため、残念。
速読というと要点をつかんで斜め読み飛ばし読みをするみたいな方法のものもあるが、これは文字を音声化せず読んで、脳の処理速度を速めるといった感じ。少しでも早くなるとすごく得をしそうだが、一人で継続的に訓練する気にはならず。この手法で速読を教えている学校があるので、そちらに通うのがいいのか、と10万くらいかかるのは高い...。

2010年6月18日金曜日

38億年生物進化の旅

池田清彦著

2010年4月28日水曜日

知らないと恥ずかしい ジェンダー入門

加藤秀一著

2010年4月28日

引き続き、仕事のために読んだ本。

ジェンダーとは何かについて書かれている。これは入門本。

「この本はジェンダーについてのほんとうの入門書です。みなさんがジェンダー論の豊かな知的フィールドに踏み出すために、最初の手がかりを提供したい。<ほんとうの>という意味には、そんな願いが込められています。」と最初にある。

とても面白く、分かりやすい文章だけれども、言葉の定義について語っているところなどは、頭がこんがらがりそうになる。ジェンダーとは何かを知りたい人はぜひ読んでみてほしい。間違ったことを書きそうなので、笑えたポイントを引用、ちょっと長いですが。

ところで最近、「男も差別されている」といった言いまわしをする人が増えてきたような気がします。中高年男性の自殺が増えるなど、日本の男性たちが直面している生きにくさがクローズアップされるようになるにしたがって目立ってきたように思えます。そういう背景を考えれば、この言いまわしに込められた意味は理解できなくはありません。
けれども性差別の全体を考えるなら、男性も(女性とおなじように)差別されているというのは言葉として不正確であり、差別という言葉の濫用と言うべきです。差別という以上、そこには集団ごとの序列化があり、差別する側と差別される側がある。そして、ジェンダーに関わる限り、男性が優位で女性が劣位というのが私たちの生きる社会の現実です。そういう最低限の基本的な意味をキープしておかなければ、まともな議論はできなくなってしまいます。
必ずしもそうではない、女性が有利なこともあると言いたくなる人がいるかもしれません。もしもそれが「全体的には男性のほうが女性よりも優位だが、なかには女性であることをうまく利用して、他の女性や男性よりもトクをしていいる女性もいる」という意味であれば、そういうこともあるだろう、としか言いようがありません。もちろんその逆に、男であるがゆえに、たまたま個人として損としているような場合もあるでしょう。けれどもそれが、「女性全体が男性全体に比べて優位である」ということを言っているのだとしたら、明らかな誤りです。そういう主張をする人が証拠としてよく持ち出す根拠には、電車の女性専用車両だとか、映画館の女性割引だとかいった、どうてもいいようなセコイ例が多いのですが、関東人の私でも思わず「アホちゃうか」と呆れてしまいます。そんなことを言うのだったら、映画館の男性割引をつくる代わりに、男性100に対して女性65という平均賃金の格差をさかさまにしてもいいんですね、と訊いてみたいですね。

ちなみに著者は男性。日本の社会で生まれ育っていなければ、私はアシスタントにはなっていないなというのが正直なところ。
まぁ、この辺は考え出すときりがないのでやめる。やはり枠からはなかなか逃れられないものだ。